誰しもいろいろな理由でうつ的になることがあると思います。自分も2年前にそのような状態になりましたが、般若心経一万回唱えることを目標にして見事に元気を回復しました。そんな経験を書いてみたいと思います。
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神様はいるのかいないのか。本当のところはだれも教えてくれなかったように思います。そのことについてインドの聖者のラマナ・マハリシという人が本の中でこんな風に語っています。

質問者:徳行に報い罪業罰するというイーシュワラ神(人格神)というひとつの独立した存在はあるのでしょうか。神は存在するのでしょうか。
マハリシ:そうだ。
質問者:彼はどのような存在なのですか。
マハリシ:イーシュワラは心と身体のなかに、いずれは滅び行く個体性をもっている。だが、それと同時に彼は超越意識と解脱を内に秘めている。

 宇宙の至高の創造主であるイーシュワラ、人格神は本当に存在している。だが、これはまだ真理を実現せず、個我の実在生を信じている人々の相対的な見地から見たときに限った真実である。賢者の絶対的な見地からすれば、無形の一者である。個我を超えた真我以外には、他のどんな存在もありえない。

 イーシュワラは、物理的身体、名前と形をもっている。だが、それはこの物理的身体ほど粗大なものではない。それは幻想のなかで帰依者の思い描いた姿で見られる。神の名前と形は、数多く様々であり、それぞれの宗教によって異なっている。彼の本質は、我々の本質と同じく無形の一者の真我である。それゆえ、彼がとる姿はただの想像あるいはあら現れにすぎない。

 イーシュワラは、宇宙の至る所に存在するすべての人、すべてのものの中に内在している。すべてのものとすべての生けるものの総体が神をなしているのである。


 よく言われることだが、「かがみ」から我をとったら、神だけがのこると。私たちの私がという意識がとれたら、その本質は、神意識、すなわち真我なのだろう。真我はうちにだけあるのでもなく、神として私たちの思い描く姿でも現れてくれて助けもてくれる。そう思うととても心強い。しかし、なになにをしてくれなかったから、神様なんて信じないという台詞だけは言わないようにしよう。なぜなら、神は、私たちの本質そのものなのだから。

 アマチもすべての人の母として、インドの信仰心のあつい人には神として現れています。しかし、その本質は、純粋な意識、真我の現れにちがいありません。困った時は、神に頼るのが一番いいとアマチも言っています。神は、助けを求めてくるのを待っているともいいます。この世には、神も仏もないと思いこみふさぎ込んでいるよりは、思い切ってアマチの腕のなかに飛びこんでしまう方が心がやすまると思います。彼女にとっては、愛を与えることが喜びなのだそうです。
 
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【2008/05/23 11:11】 | 心と身体
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