誰しもいろいろな理由でうつ的になることがあると思います。自分も2年前にそのような状態になりましたが、般若心経一万回唱えることを目標にして見事に元気を回復しました。そんな経験を書いてみたいと思います。
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gazou 973
愛に身をゆだねるということは、ある人たちにとってはとてもたいへんなことがあるらしい。

 その辺のところをガンガジの本は、実にうまく説明している。

愛という言葉にてこずっている人がたくさんいます。私たちはほとんどの人が知っている通り、愛は感傷的でときにだらしがなく、またけっしてコンントロールが効かないものです。それでも私たちは愛を渇望します。愛という概念には、しばしば愛と憎しみが混ざり合っています。これはおそらく幼年時代、ただどうしょうもなく愛することしかできなかった経験からきています。私たちは、母親、父親、強大姉妹など、愛する人に向かってその愛を投げ与え、あるとき、彼らがあまりあてにならない、ということを経験します。そして、彼らの行動と愛を混同し、愛とは信用ならないものだ、と結論づけるのです。

 人が信用ならないものであることは紛れもない事実です。なぜなら普通人は、自分とはこういう人物であるという物語を守るのに一生懸命でとても忙しいからです。自分自身の物語に没頭しているため、一定量の愛情を人に与えると今度は、「私が愛をもらえるのはいつ?」と考え始めます。愛というものを自分以外の誰かとの関連で認識しており、それが、愛をめぐる不信感の連鎖を生むのです。

 でも愛は人ではありません。愛というのは、個別であり、集合体であり、そして、普遍の魂のことです。愛とは、神であり、真実であり、美であり、平和であり、そして、自分自身です。自分自身を知ること、自分の本当の姿にひれ伏すこと、それは、つまり、愛に身をゆだねるということです。

中略

正直に自己探求することを通じて、あなたは自分がなぜ愛に身をゆだねることができずにいるのかを理解し、また、あなたには実際に愛に身をゆだねるという選択肢が与えれているのだということを理解します。そして、無意識下にあった物語を意識し、それまで知らなかったことを知るのです。

 自分にこう尋ねてご覧なさいー愛に身をゆだねるのが危険なのはなぜなのだろうか?愛に身をゆだねるのがなぜ正しいのか、でも、なぜそれがよいことなのか、でもまく、愛に身をゆだねてなぜ危険なのか、と訊くのです。
 

あなたという個人の意識を、意識の源に飛び込ませてご覧なさい。そこでは、愛に身をゆだねることに抵抗するあらゆる理由や正当化は、単なる物語、でっちあげにすぎず、あなたにはいとも容易くそれを手放すことができる、ということがわかります。中略

 あなたはがあらゆるところに探し求める愛、それはもうあなたの中に存在しています。それを呼び覚ます人や出来事はいろいろあることでしょう。山や夕日がこの愛を喚起することがあるかもしれません。けれども、最終的にあなたは、あなた自身がこの愛であることに気づかなくてはなりません。すべての愛の源は、あなたの中にあるのです。

 以上で引用をおわりますが、この文章は、愛に悩める人の手助けになるのではないでしょうか。自分の本当の姿にひれ伏すというのが、特に大切なことかと思います。
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FC2blog テーマ:心と身体のケアを大切に! - ジャンル:心と身体

【2009/01/06 12:45】 | 心と身体
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